民族意識
地球上には様々な民族が生息している。
戦争も辞さない時代もあり、今でもいくつかの地域では民族紛争がある。
そんな中、平和の祭典という冬季オリンピックが開催されているが、このオリンピックもある意味、国対抗戦だが、民族対抗戦の意味合いもある。
それを強く感じるのが、水泳やスキー競技。
特にスキー競技は
白人系の競技である
という想いが強いのでは?と
日本人がバサロ泳法でメダルを獲ると、バサロについての規制をかけたり、スキー複合でメダルを獲ると、ルール改正。
ジャンプでメダルを獲ると、板の長さの制限などのルール改正。
さらにモーグルでもターンの視点を変えたり・・・・・
要は
アジア系民族がメダルを獲ることに面白さを感じない
という事であろう。
この考えは、昔は競技選手で現在は各国で指導や連盟幹部などの一部の人達であろう。
そのため、その一部が競技のルールや判定などを管理している現状では理不尽な競技結果もでてくるのも、ある意味自然かも知れない。
今朝のモーグル競技でもそのような事が起こったのでは?と個人的に思う。
モーグルでは、4年前も同様な事が・・・・・と思ったものだ。
今回もか・・・・・
と、非常に残念に思った。
当事者は競技終了後のインタビューでは、採点に不満を言うこともなく、受け答えをしていたのが印象に残った。
そしてここからは私の勝手な想いであるが、
インタビュー時に、
堪えているものがあるのでは?
というのを感じたのである。
最近の日本人は、何でもすぐに文句を言う人が増えているが、このインタビューでは、昔の日本人が持っていた
”忍”
というものを見た気がする。
自分自身がベストを尽くした。そしてそれが理不尽かもしれないが、結果が伴わない。
が、自分自身ではやり遂げた満足感もあり、結果が伴わない理由もなんとなくわかる。
しかし、現状のルール(体制)では、幾ら声を大にしても結果が覆ることは無い。
声を出し続けて叫ぶだけというのは、あまり見栄えのするものではない。
このインタビューを見た多くの人が、この選手に共感したのは、最近の日本人が失ってきたと思われる姿を、無意識の中で感じたというのが理由ではないのか?
この選手が、この先どのような活動をするのかは知らないが、将来はぜひ指導者として、技術だけでない部分も教え育てていただきたいと思ったのである。
ご本人は意識していないとは思いますが・・・・・・
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